TAKUの障害
シこれまでの道のりシ

TAKU

レ平成5年11月16日、6時48分誕生

阮ス名の由来

自分の力で生きていける強い人間に育ってほしいという願いをこめてパパさんが考えました。



生まれた時は、母乳はほとんど飲まない子で粉ミルクで育ちました。あまり泣かない子でした。


1、2歳までは、とても育てやすくおとなしかった事を覚えています。ただ、言葉が遅いなぁとは思ってました。


ネおかしいなぁ〜と思い始めたのは3歳の頃でした。この頃レ妹のyu-chan誕生。
妹と比べあまりにも違いがある事に気付きました。



保健所にて3歳児健診に行きました。


同じ年齢の子達より、出来ないことだらけ。待つ事が出来なくて、リウロウロはするわラ大声は出すわで、とてもモショックを受けた事を覚えています。

以前より気にしていた言葉の遅れでひっかかり、保健所で開かれている親子教室に通う事になりました。


保健所の親子教室に通い始めた頃のTAKUは、多動で奇声は上げるし物を壁に打ち付けるなど、名前を呼んでも反応無し、何もしゃべれませんでした。
私はyu-chanをおぶい紐でおんぶして、毎回参加してました。


この頃の遊びと言うと、寝そべってソミニカーを前後ろに動かし、何時間も続けてました。



その後、療育センターにも通いました。


療育センターのドクターより、ネ自閉症の宣告を受けました。



4歳の頃、幼稚園の件で児童相談所に行きました。


児童相談所で発達の検査をしたら、1歳半児くらいの知能だと分かりました。


コミュニケーションのとぼしさ、指示が入らない、集団行動が苦手、椅子に座ってられないと言うことから、幼稚園や保育園は無理だと言われ、知的障害児の施設に通う事になりました。


この頃、てんかん発作を起こし、長い付き合いになります。



そして
毎日の通園がはじまりました。
この頃にeritchiがお腹にいることが分かりました。

この頃が一番苦しかった(+。+)

毎日、タパジェロに乗って、朝はyu-chanを保育園に、TAKUを通園施設に。

つわりが酷くて7キロ体重が減っていて、2週間程入院しました。

無事に退院して、いつもの生活に戻りました。安定期にも入り、ひとまず安心。


パニックのはじまり


この頃、父の田舎に行った時、パニックを起こしたTAKUはyu-chanのホッペをハサミで傷をつけましたネ

現在では、傷はきれいに消えてますヌ


結局、臨月まで送り迎え。今、考えるとゾッとします(;^_^A


卒園間近に、パパさんと離婚。(理由は秘密)しいて言えば、育児放棄愉」


通園施設で、訓練した結果、椅子にすわっていられるようになり、オトイレも自分で出来るようになり、片言語が話せるようになりました。



小学校入学

K県のB小学校に入学
個別支援学級に在籍。


思わぬ事が起きたナ

●母子家庭
●障害児
●嫌がらせ
●裏切り

この地域は、かなり差別的でした。

私は負けてたまるかと、がんばりましたが、あまりの異様さに人間不振に陥ってしまいました。

人を信じられなくなり、外に出られなくなり、もう我慢の限界にプッツンしました」


TAKUが3年生の時に、引っ越して転校しました。


K区のS小学校、S中学校、現在の地域は、とても良い感じです
いまでは、だいぶ人を信じられる様になりました


そういえば
小学校3年生の時に、アデノイドの手術で入院しました。手術する前は、身体が弱く良く熱を出していましたミ

現在はめったに風邪もひきません



今は、将来に向けてパニックの治療の為入院中ですヌ

早く帰ってこーいゥ
皆、待ってるよ〜


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m(__)m長い文章読んでくれて、どうもありがとうございましたm(__)m


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